東條英機は独裁者か?
読んだ理由はそれと言ってなく、この本が手元にあったからです。
あえて言えば、GWにガチ提督と呉旅行に行ったこともあり、なんとなく太平洋戦争への興味が湧いていたというのが理由かもしれません。
これを読む前、僕の東條英機に対するイメージは
・日本を戦争に突入させた一番の原因
・独裁者
・一応、戦争に反対はしてはいた(前テレビでちょこっと見た)
という程度でした。
が、この本を通しイメージが変わりました。
東條英機は、几帳面かつ努力を厭わない、ちょっと小心な普通の人です。
ただ、彼の欠点は「その場凌ぎの行動が多く、大局的視点を持っていない」ことでした。
戦争中、彼はその几帳面さを発揮し「あらゆる局面で、現人神である天皇陛下を尊重しなければならない」と考えます。
そこで戦争に関する会議を、会議室ではなく宮中でやるようにするなど、天皇への距離を縮めていきます。
これらの結果、彼は以下の考えを凝り固らせてしまいます。
天皇の信任がある以上は全権を委ねられていることだ。この委任受託者たる自分への反対は天皇に反対することであり、天皇への反逆である
また、彼の目は「戦争を収束させる」ことよりも「天皇を安心させる」ことに向いていました。
東條の言葉に以下の文言があります。
たとえ客観的に負けていても 、それは認めない限りその事実は存在してはいないのだ
彼はこの言葉に基づき、「日本はまだ負けていない、勝てる」という報告を、「天皇を安心させたい」という自己満足のために続けたわけです。
その結果こそが、原爆を投下されるまで続いた泥沼の戦争です。
こう見ると、確かに東條英機は独裁者だったのかもしれません。
ただ、彼の「自己満足のために報告を捏造する」ような小心さなどは、僕の中の独裁者というイメージにしっくりこないのです。
また、東條英機はそもそも「派閥争いに無縁」という理由から担ぎあげられたという面もあるので、彼の能力以上な身分不相応な地位であったのかとも考えれます。
陸軍大将兼内閣総理大臣という地位は、彼にはキャパオーバーだったことでしょう。
そう考えれば、彼も歴史による被害者だとも考えられるのです。
結局、東條は「独裁者というより、戦前の行き過ぎた精神主義の体現的存在」というありふれた結論になってしまうのでした。