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世界穿孔日記

飽き性な新社会人の日記です。読書・サイクリング・デジタルガジェット・カメラ・文房具などに興味があります。

疲れない読書に意味はあるのか

こんなツイートをしたら、

 

その読書は楽しくなさそう…

 
というリプライが。
 
確かに一里ある。
だが、読書に求めるものが「楽しさ」だけでいいのか。読書には楽しさ以上に得るものがあるはずである。そのためには、疲れる読書をしなければいけない。
今回のテーマは「疲れない読書に意味はあるのか」である。
 
 

・そもそも読書とは何か。

 読書とは、本を読むことである。一般的に漫画ではなく活字を指しますので、今回もそれに準ずることにする。

・疲れない読書とは?

 疲れない読書とは、本を読み流すことである。読書とは、物語の流れに身を任し、主人公の体験を疑似体験することでもある。この時、物語の流れに身を任せ、主人公の行動を「受動的」に体験する。つまり、読者は主人公の思考の流れを受動的に追っているだけなのである。この場合、一過性のカタルシスは得られるが、後には何も残らない。 

・疲れる読書とは?

 疲れる読書とは、本の疑問点や、主人公の行動を常に反芻しながら読むことである。例えば、物語の節目節目において「自分が主人公ならこう行動する」などと考えながら本を読む。主人公の行動を疑似体験するだけではなく、自分ならどうするのかなど、主体的に働きかけながら読むのである。

・読書に意味があるとは?

 読書の目的が「一過性のカタルシスを得る」ことであれば、疲れない読書でもいいと思う。だが私は後に残るものがあってほしいと思う。というより、せっかく時間を割いて読書しているのだから、何も残らない読書をするのはもったいないと思うのだ。私が疲れた読書が特に優れていると思う理由は二つある。
 一つ目は、深い疑似体験ができることである。例えば、主人公の決断と似たような場面に自分が追い込まれた時とする。主体的に読んだ人であれば、同じ状況で悩んだことがあることになる。なので、以前も体験したことのある状況ということで、比較的スムーズに決断ができるだろう。
 二つ目は「感動がより大きい」ということである。主体的な読書とは、主人公と一緒に悩み、解決策を探るということでもある。そのため、物語から得られるカタルシスも大きくなるだろう。

・最後に

 読書の姿勢として、疲れない読書はありだと思う。だが私は、力を入れて読んでいたいと思う。
 とはいえ、最近は読む本が常に二冊あるという状態である。そう、「疲れる読書をする本」と「疲れない読書をする本」の二冊を並行読みしているのである。全部が全部、疲れる読み方をするのは厳しい。だからこそ、この辺で折り合いを付けているというのが私の現実である。